豊里実顕地での『モンゴル交流会』

 1月6日~20日、モンゴルのガンゾルグ夫妻が来日して、豊里・春日山・美里・岡部・多摩の実顕地を訪問し、モンゴルでの活動報告や今後の計画などを聞かせてもらう「モンゴル交流会」や「モンゴル報告会」を開催しました。

 1月13日夜の豊里実顕地での「交流会」には、三重地区各実顕地から約120名が集まり、まっすぐな明るい彼らの生き方に触れ、会場の人たち一人一人の心に響き、中身の濃い1時間半でした。

会場からの 「ヤマギシズムはモンゴル社会にどいう社会的な影響が予想されますか?」 という質問に、

ガンゾルグは

『ヤマギシズム社会創りは、地球中、世界全体の話しなので、モンゴルがこういう社会を創りたいとか、日本はこういう社会を創りたいとか関係ない。これは世界に関ることで、全人類が、世界の人々が幸せになる社会を思って僕は話している。』 と、答えていました。

交流会の内容抜粋を、ぜひ読んで、モンゴルからの『熱い思い』を感じて下さい。

 

【東京案内所 松本直次】

モンゴル交流会(2012.1.13・PM7:00~8:30・豊里ロビー)

  モンゴルから来訪のガンゾルグさんと妻のウーレーさん、通訳にゲレルマさんを囲んでモンゴル交流会は開催されました。  大阪の会員でモンゴルに日本語を教えに行った杉山和子さんや、スイス実顕地づくりをやってきたリッタさんを交えての交流会は、今年の国際的な動きの始ま りとなり、楽しく笑いながらの中身の濃い交流会でした。(交流会をすべて採録したのですが、一部略しながら紹介します。)

【撮影・テープ起し 豊里実顕地 喜田栄子】

進行:ウーレーさんお腹にあかちゃんがいるそうですが・・・

ウーレー:今6ヵ月です。

進行:ガンゾルグさんがヤマギシの運動を始めた時、部屋の中からパソコンや色々な物を売って無くなった話を聞いたのですが、その時のウーレーさんの心境はどうでしたか?

ウーレー:日 本に行って特講を受けて様子が変わって、何をやりたいのか相談してくださいと言ったら「相談しても分からないでしょう。今度僕が受けたのと同じ様なことを モンゴルでやるから、それに参加してから話ししよう」と、何も説明してくれなかったし、知らないうちに家から物が無くなって行く状態でした。

進行:それは不安ではなかったの?

ウーレー:心配でした。全然相談してくれなかったから・・。

進行:それで特講受けて、少しは変わってきたのかな?

ウーレー:彼 が言った通り自分が特講を受けて参加しないことには進まないなーと思って、モンゴルの第一回特講に参加しました。それを今振り返ってみると、あの時はよく 分からなかったけど「うちの夫がやりたかった事は本当にこういうことだったんだ」と思って、産婦人科の医師だったけど辞めて、やっぱり応援してやっていき たいと、はっきり思って2人で決めました。今もこうして皆さんにお会いして、沢山の仲間がいることに感動して、やっていることを再確認している気がしま す。

進行:今回初めて来て、昨日は春日山、豊里に来て実際ヤマギシの村を見てどうでしたか?

ウーレー:前、 何人かの会員さんが日本に参観に来たりしていたけど、その人達の話を聞いても自分はあまり信じないと言うか、本当に大勢で生活して社会をつくってやってい るのが不思議でしょうがなかったけど、実際今来て、春日や豊里のみんなのやっていることと、暮らしぶり見てみると、現実的に私たちがやろうとしていること がここにあるんだと言うことがすごーく実感しているから、来てよかったなーと思っています。

進行:ガンゾルグは今回で5回目ですか。最初日本で特講を受けて、今までの流れの中で感じている辺りを出してください。

ガンゾルグ:2008 年にモンゴルから2人で来て特講を受けた。一緒に来た友人はどんどん出世して今は校長先生になって、関りはあるけど彼は自分の道を行っちゃった。僕も続け てやっていれば、校長先生になっていたかもしれない。けど、すぐ仕事を辞めて何をやりたいか、自分の出来ることをまずやりたいと思った。ウランバートルか ら250キロほど離れた所に親が残してくれた野菜畑があって、そこで経験もなく野菜作りを始めた。全部自分でやって、もっと上手にやれたらもっと採れたか もしれないけど、11トン位のじゃが芋を収穫して、それで次の運動に繋げて行こうと思った。しかし、自分一人の力ではなかなかできなかった。これは同じ仲 間を増やしていかないと、一人で理想ばかり求めても出来ないことだなーと思って、物作りより人作り、特講を進めていこうと思いました。
一緒にやっていく仲間を作ると言うことは、ただそこら辺にいる人を集めるだけではダメだということで、まず何とかして特講をやりたいということで、まず自 分の持っていた家を売って、それを資金にして、観光客用のキャンプ地で2009年4月に初めての特講をやれたし、その時、松本さんたちが来てくれて、僕は 一人じゃない、応援してくれている人達が沢山いると感じてやることが出来た。その時、15人の参加者がモンゴル第一回の特講に入ってくれた。そこから仲間 がどんどん増えて行ったから、やっぱり物ばかりでなく、人作りが大事だったと今自分は思っています。

進行:スライドで見たけど、今の農場についてどういう状況か詳しく話して下さい。

ガンゾルグ:第一回特講は他の土地を借りてやって、思った以上に自由に使えず大変だった。自由に使える場所があったらいいなーと思って、皆さんの力と自分の持っていた分で今の所に特講会場を購入でき、そこで第二回特講がやれたことが次に繋がる大きなことだった。
今、農場ではカシミアが売れるようないいヤギを育てていくことと、肉が美味しい羊を育てていきたい。モンゴルは果物や野菜が少ない国なので、野菜作りと ジャムが作れるようなベリー類を育てて維持し運営していく。野菜はできるけど、野菜の収穫は年に1回。5月に植えて8月9月に収穫という状態です。冬寒い ので収穫は年1回に限られています。

進行:モンゴルの人はあまり野菜を食べないと聞いていたけど?

ガンゾルグ:最近は健康のことも考えているし、環境も変わってきて、野菜を食べるようになってきている。

進行:野菜もモンゴルでやっていく?

ガンゾルグ:国も応援しているし、やっていけると思います。

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進行:何か今までの話しで会場の人で聞いておきたいことがあれば・・?

佐藤:ヤマギシズムはモンゴルの社会にどいう社会的な影響が予想されますか?

ガンゾルグ:モ ンゴルでヤマギシの社会創るとかそういうのは全然関係ない。地球中、世界全体の話しなので、モンゴルがこういう社会を創りたいとか、日本はこう言う社会を 創りたいとか関係ない。これは世界に関ることで、全人類が、世界の人々が幸せになる社会をと思って僕は話しているので・・・

佐藤:よく分かりました。

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進行:今度10人が研修生で来る予定でしょう。一応職業は違うけど農業は知っているということ?

ガンゾルグ:そ うですね。夏になると6月から9月の間はみんな休みになるんです。冬の準備のために、そうするとみんな田舎に行ってヤギの乳搾ったり、野菜作りしたり、野 菜の種植えたり、乳製品作ったり、そういうのも小さい頃から馴染みがあって、「農業知っていますか」と言われるとみんな「知っている、ヤギの乳搾りやっ た、じゃが芋堀した」という。日本人とそういう感覚が違う。今度豊里に来る子はそれぞれ職業が違うけど、農業知っているとやる気満々です。

進行:今こちらに来る研修生について話を聞かせて欲しい。どういう仕組みで来るのだっけ?

ゲレルマ:ま ずはガンゾルグからの依頼もあったけど、ヤマギシの村の実態とか実顕地を知りたいという会員が増えてきた。いつでも、誰でも自由に来日出来る状況ではない のです。ビザの手続きとか収入の制限とか日本大使館は厳しいので、1週間来る為にいっぱい書類を作ってもビザが下りるかどうかわから無い。今は両国の関係 が発展していないから国と関りのある事業やったらどうなのかなと調べてみたら、農業の研修生受け入れ、送り出しできる制度があって、そことも相談してうち らが送り出し機関になって、ヤマギシが受け入れ機関になればできますよってことになって、国に申請してOKになった。これから研修生が来て交流して人材作 りをやりたい。ガンゾルグと一緒にやっていこうとする子たちも行きたいとなって、沢山いるけどその中でも一緒にやれる子を選んで最初の10人になってい る。両国の政府間の法律に基づいてやっているものだから、きちんと資格とかがあって、それで3年間ここで研修して、自分たちがやろうとしている事を実際に 見て確認して帰って、モンゴルで一緒にやれたらいいなということで、今10人送り出す準備の段階です。

進行:研修生として送り出すにあたってガンゾルフさんが狙いとするところ、何を期待するかあるのですか?

ガンゾルグ:僕 もやっぱりさっき言われたように農業知っていますかと言われると胸はって知っていますと言える。なぜかと言うと、6,7歳の頃から田舎行って、馬に乗った り、羊の放牧したりして親しみがあるというのもあるけど、今回日本に来て研修受ける子は僕と同じよううな環境で育って農業知っている。これからは自分ひと りで色々やっていくのでなく、一緒にやれる仲間たちが交流できて帰ってきてヤマギシでやってきた技術と実際目で見た事を実践していくのにすごくいい機会だ と思うので、みなさん色々教えてあげて下さい。それはモンゴルのためにもなるし、世界のためにもなると思っています。

進行:今 度10人来る人の中には独身の人もいるけど、夫婦の人もいますよね。夫婦の旦那さんだけ、奥さんだけと云うような人、みんながびっくりしたのは女の人で旦 那さんをおいて2歳の子どもも置いて来る訳でしょう、しかも3年間は帰れないわけだから、日本では考えられない。その辺の意気込み、国の違いがあるのかも しれないけど、すごい意気込みがあるんだな・・

ガンゾルグ:自分も韓国で3年間単身赴任で仕事やったこ とがあるけど、自分の家が恋しい、家族に会いたいということもあるけど、みんなが僕がいなくても家族がやってくれているというか、親もいるし、兄弟もいる し、みんなで応援してくれていたから心配しないでやることができたし、モンゴル人の特徴かもしれないけど、将来のことはあまり考えないですね。今日はどう したいか、今やるべきことをやるということで、多分その子達の中には3年間ここでやれるかどうかなど考えている子はいないと思う。今日は大丈夫。自分の家 族も理解してくれているし、自分も今やりたい事は何か、はっきり決めていることだから、国民的特徴かもしれないですけど、心配することないと思います。 (拍手)

進行:日本でもね、亭主元気で留守がいいと言われる。そういう軽い気持ちもあるんですね。

ゲレルマ:こ れは私の考えですが、例えば、私に2歳の子どもがいたら多分会いたくなる気持ちもあると思うのですが、そんな先々のこと考えていたら前に進まないと思うの です。私は自分が初めて日本に来た時、娘は1歳で最初の1年間は自分ひとりで来たんですよね。日本語をまず習うまで。その時は1年後どうするか、明日から 娘と会わなくなるとか、そういう複雑なこと考えていたら、多分、いつまでたっても行けないし、進まないと思うんですね。今どうするか、今やるべきことはな んですかと、簡単なんですね。だから皆も同じだと思う。「3年間日本で大丈夫かな?3年間旦那大丈夫かな?」そんなこと考えていたら多分進まないと思いま す。

進行:そういうことです。(拍手)

今までの歴史の中でモンゴルなんか見ていると、例 えば特講受けて研鑽学校行ってそのまま実顕地ができるかというとそうではない面があって、やっぱり昔スイスの実顕地が出来た頃には特講、研鑽学校もやった けど、スイスの会員が日本の実顕地に来て実習したというのはすごく大きいと思うのですよ。それはブラジル実顕地ができる時もブラジルの会員が何人も来て生 活したというのがすごく大きいと思うのです。頭からヤマギシが入ると云うより身体からヤマギシが沁み込むみたいな、そういうのがこの3年間でできるのか なって感じがする。
ただ受け入れる我々としたら、どういう辺りを気をつけたらいいのか考えていきたいと思って、今日はその経験者のリッタさんを呼んでいます。是非スイスの経 験を、ちょっと。これは送り出す方の参考にもなるし、われわれ受け入れる方の参考にもなるような話にして下さい。(笑い)

リッタ:いっ ぱい、色々いいたいよ。私たちは25年前にブラジルから5人とスイスから5人、一緒に来た。その頃は日本にまだ諸国の人余り居なくて、国としても珍しかっ た。実顕地の人にとっても、来てくれたのは嬉しいし、一緒にやりたい気持ちあるけど、どう接したらいいのか分からないで、どうしたらいいのか分からないで 私たちを避けている人も結構いました。

一緒にすごく一生懸命手と足でやってくれた人もいるし、なんか一緒に、一つの場面を思い出してみる と、仕事していて、これをどうするか聞いた時に相手側は「これはこうで、こうで」と言うんだけど、分からない。言ったらまた同じこと言うのだけど、分から ない。それを5回位言って、同じこと言っても分からないから、相手側はそのまま行ってしまった。だんだん村人同士で、こういう言葉だったら分かるとか、手 とか足こう使ったら通じるとか、それがすごく速かった。

みんなやっぱり一緒にやりたい気持ちがあったのを、みんなでいろんな研鑽会を通して 繋がっているから、みんな早いうちに上手になった感じで、言葉分からない時にしか味わえないと言うのもあって、研鑽会にずーっと毎日座るんだけど、言葉分 からないからみんなの顔見ながら、言葉以外のものに目で見るとか、心でやったいい思い出ある。楽しかったの。みんなの見るの。言葉じゃないところで伝わっ てくるもの、そういう目を磨けたのと、もう一つは自分は納得しないとやらない人だったけど、聞けないから何でこうするか、だからやるしかなかった。それが すごい辛かったけど、自分にとって、やりながら日本語覚えるのも、ヤマギシ覚えるのも同時に自分が体験したこと、実感したことしか分からない。だから頭先 では行けない。

まず、みんなとやることを通してやるということがこういうことか、全然違う世界に触れることができたのが自分にとって大きかった。

振 り返ってみると言葉は余り分からないから研鑽会でしゃべれないし、一番みんなの生き方にどこで触れられたかと考えてみると、一緒に仕事するということだっ た。それはなに思い出してみると、最初から、特別な人扱いはしないで、みんなと一緒に仲間に入れてもらって、結構最初から大事な仕事任されて、そこで失敗 しながら、そういう一つ一つのことに対して、他の人の反応とか姿勢、そこからこういう人になりたい、仕事振りを通して、私たちも若かったしやることいっぱ いあったし、思い切り仕事いっぱい用意してもらったの良かったなーって感じ。言葉分からないから難しい事分からないから結構平和的に暮らせる。(笑い)

そ れで研鑽もできる気になってしまう。だけどそこでいつも面白しろかったのは、例えば祭りでお店出すのはスイス人同士であったりするとなかなか一致できなく て、(笑い)そういうことを通して自分たちの実態、そういうことも面白かった。だから自分たち同志でやる機会があったのも、大事なことだったのだなーと思 う。

進行:あの頃は僕らも若かったから、時々悪戯で日本語教える。ハイは「よっしゃ、よっしゃ、」公意 行は「任しとけ、」この言葉を日本語で教えたりして、後からお前なんちゅう教え方したんやと言われた。聞いた話だけど、言葉が分からないから日本人が笑っ ている時は一緒に笑っていれば心が通じるという話しもあったけ。

リッタ:それは今回オーストラリア特講でも、妹尾さんといつもジョーク言う人がいたけど、ジョーク分からない訳。だからとにかくあの人が言い出したら2人で笑おうと(笑い)
あれいいよ!とにかく人が笑えたら笑うことにするという、笑いも移って来るじゃないですか。自分は分からないという頭になっちゃうと淋しくなっちゃうけど、一緒に笑う。

進行:スイスやブラジルから来て帰って行くじゃないですか。で、なんとなくスイス、ブラジルっていうのは親近感があるよね。仲間が居るって感じがする、一緒に生活したというのが大きいなーって感じ。

リッタ:私が一番思うのは、お客さんで来るのでなく、勉強に来るのでなく、この豊里実顕地一緒に創っていくというのでやると面白いし、そういうことを通して培うものある。

私は多くの人を見てきているが、ここ豊里に居ながら、これもこれもスイスに持って帰りたいという感覚で、とにかく得る。そういう人たちはカバンにいっぱい入れたつもりだけど、カバン開けたら空っぽ、そういう感じがする。

こ こに実際やっていたこと、技術もあるけど、私たちもスイスでいろいろと形で実顕地を真似してきたけど、あれはどうでもいいんですよね。農業だったら生産物 売ったり、楽園村やったり、それで実顕地かって言ったらそうでもない感じがして、一番やっぱり、思ったこと言えて、それでみんなの思ったことを一緒に本当 はどうなのかなと、一緒に探って行けるお互いになると、どこでも実顕地ができる気がする。

それのために、スイスは今25年だけど、25年前 に皆特講受けて、だから皆同じ年齢なんですよ。それはなんかつまらないですよね。だから日本の50年間の歴史があるということを生かしていかなけりゃあか んわけ。日本とスイスとか、日本とモンゴルとかという話しでなくて、さっき出ていたように世界中の運動で、これを一つでやっていくということだから、いつ も交流しながらこっちからも行って、その場の人になって一緒にやるとか、いつもここで研鑽学校で一緒になったり、交流したり、一緒にやって行くことがある 間は一つの運動になるけど、自分たちはここまで出来たから自分たちだけでやれるとなった途端に違うものになる気がします。

進行:なんか今日すごい、いい顔しているね(笑い)

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進行:今のリッタの話し聞いていたら、研修生が来るでしょう。まぁー村の人と一緒に笑っていたらいいんだと言う事を言っているのかなって気がします。いやーガンゾルグは真面目だからね、俺がジョーク言っても全然通じない、(笑い)

それではガンゾルグさんは今のリッタの話し聞いてどうでしたか?

ガンゾルグ:リッ タさんが話していること僕も同感です。モンゴル人だからスイス人だから、日本人だから、そういう特別な扱いなく、みんなで幸せになっていく方法って何です かと考えていけるような社会創っていきたいし、自分は真面目だけど、この運動っていうのは自分の考えでやることでなく、みんな一緒になってやることだか ら、みんなモンゴルどうですかって言ったら、寒いですよって言ったら行きたくないと言うし、寒いというのはびびることもないし、今こそ行って、寒さの中で 羊を放牧してくれたらいい経験になるし、去年の寒い時期に岡田さんとか、稔子さんが行っていろいろやってくれたことがすごく嬉しかったし、自分も親がいな くて寂しい時もあって、いたらいいなーと思っていたその時、丁度親みたいな人が一緒にやってくれてすごく楽しかった。幸せな時間を過ごせて、言葉とかそう いうのは全然問題ないです。

やっぱり心と心、一緒にやるというのが胸の中にあれば、何でもやっていけると思っています。(拍手)

進行:まー、岡田さんでもやれたモンゴル。今までの事でウーレーさん何かありますか?研修生の事とか?

ウーレー:今 度来る子達は私も全員知っている。一緒にやってきた仲間達だし、そんなにいっぱい習って来て下さいとか、こうしなくちゃ、ああしなくちゃいけないとかいう プレッシャーをあんまり与えたくないと思っているし、楽しくみんなと過ごして帰ってきてくださいと声かけています。そしてやるべきことはみんながそこで掴 むことだし、私がああだこうだと言っても、その人がやることとやれないこともあるだろうし、受け入れる側もそんな緊張しないで、行く側も緊張しないで仲良 くやれたらいいと思っています。人間っていうのはやれないことは無いと思っています。なぜなら、自分は料理とか余りできないんだけど、特講の料理を一週間 とか、ちゃんと料理できて、あーやればできるんだなーと思うし、不味かったかもしれないけど、(笑い)一週間通して食事を作れたことはいい経験だし、あま りプレッシャーとかかけないで、楽しく仲良くやれたらいいなーと思っています。(拍手)

進行:さっき話しに出た岡田さん、稔子さんどうですか?岡田さんどうせ出ないと思うから稔子さん、あのー私でもやれたっと言うのを・・。

稔子:今、 ガンゾルグさんから親のような年齢の人に来てもらって嬉しかったと聞いて、すごく、あらためてほっとしました。私もモンゴルに行ってとってもよかったで す。今まで経験したことがないような自分の中でかつてない様な心の持ち方ができて、ウーレーさんが言っていたみたいになんでもできるんだなーって。是非皆 さんもモンゴルに行って下さい。お父さん、お母さんのような役割でよかったら、交流に来る人、是非、私も楽しみにしているので、一緒にやらせて下さい。

進行:会場の方からまた、何か聞きたいことがあれば、受け入れるにあたってとか・・、
今日は春日とか一志の人も来てもらって、すごく沢山の人が集まりました。どうですか、今日やってこれからと言うので・・?

柳:あのー、午前中にガンゾルグとちょっと話ししたのですけど、寒い時に来ないとモンゴル味わえないと、寒いの嫌だよと言ったのですが、寒い時期に行ってみようかなという気にちょっとなりました。一緒に行きたい方はどうぞ。

妹尾:僕 はモンゴルの第一回特講に行かせてもらったんですけど、第一回の特講があって今があるかなと。やっぱり特講を世界中に広げていきたいなーと。去年は2回 オーストラリアの特講があったのですが、今年は香港とかタイとか、中国本国でもやりたいという提案が出ているのですが、一緒に創っていきたいなーと思いま した。

進行:今出ていたオーストラリアの特講についてリッタさん、これからの予定も含めてこれからの動きをちょっと。

リッタ:オー ストラリアは去年2回特講をやって44人位かな? だから特講を受けた人たち50人いるんです。それで、結構今まで特講に来た人たちがリーダー的な人が多 くて、次の特講をどうするかとなった時、結構、意見がいろいろあって、貴方は私を研鑽に入れてないじゃないかとか、あのー、なんかすごくあのー、いいなー と思って、そんな簡単に行かないで、特講の中でこんな風に一緒に暮せたら行けるなーと言う、すぐ実顕地作りたいとみんなすごーく強く思っているんだけど、 マー今の今も一緒になっても簡単にはいかないというのが分かって、それで次の特講の前にまず自分たちの研鑽会の場を設けてと・・、今、高研を3月やろうと なって、それで、また5月6月位に第三回の特講を予定しています。

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進行:これからについて、今日の催しも含めて一言ずつどうぞ。

ガンゾルグ:こ れから特講をやって行くには日本からの係りも受け入れてやって行きたいと思うし、第三回特講のとき自分が係りとして入ったけど、その時印象的で、みんなが 一つになったのは3月11日に大震災があって、自然災害はどうもできないことだけど、人間、人類が自分で作った原発のことで大変な思いをしていること、自 分も気になっていたことだし、「残れますか」の代わりに「福島原発の中で働けますか」とやったことがすごく印象的って言うか、人類、世界中が平和に暮して いく中ではやっぱり、この特講というのは大事だと思っているし、進めて拡げていくのにすごく印象的。

平和に暮せるはずの人間が自分の作った 物に負けてしまって、災害以外の原発のことで、日本中、世界中が心痛んでいる時、特講できて、モンゴルの若い子達は自分のためだけでなく「世界中のために 原発に行って自分がやれることをやる」と言っていた事が印象的で、これが心に残る。

こう言う気持ちでやっていける人たちをどんどん育てて行 きたいと確信しました。研鑽学校もモンゴルでやって、今までの人生の中で大雪が降って吹雪の中で日本人と一緒に家畜の世話するとか、雪下ろしするとか夢に も思わなかったことが、そこで出来たというのは不思議と言うか、海の向こうから人がここに一緒に居るというのが感動的だった。

進行:ウーレーさん何かありますか?

ウーレー:一 人でやること二人でやることは一つもないと思う。だから何かやるときには一緒に相談できる相手、仲間がいることは非常に心強いことです。今自分が考える と、一人で悩むことないし、一緒にやっている仲間が居ることは心強いことだし、自分が特講受けて一番感じたことは、いつでもケンカしているあのお医者さん も送りたいなーとか、いつも怒っているあの人もこの特講に参加したらいいなーとか、まずそれが自分の中に居て、そういう人たちもどんどん送り出して、怒ら ない人を作りたいと思います。

進行:最後に通訳を通してでなく、ゲレルマさん自身としてこれからモンゴルでやっていくあたりを・・?

ゲレルマ:私 日本に来て今年14年目です。8年か9年前に東京案内所で松本さんに会って、その時私20代だったんですけど、松本さんが「40代ですか」と言って「それ は失礼じゃないですか」と言って未だに覚えているんですけど、そういう出会いの中から今まで自分がやってきて、よかったなーと思っています。

特講は受けたけど、成瀬さんがなんで腹立つの、そればっかり私に聞いていて、そう言うから怒るんだよ、いちいち聞くから腹立つんだよって、そう云う事で自分をあまり考えないで特講受けて、それでも、モンゴルの特講が続いていったというのは、人に通じるものがある。

自 分は特講ってなんだったかなって、今も考えるけど、そういう中から、今のモンゴルとガンゾルグがやっていることが出ているというのは、何かあるって云う事 ですね。何があるか、ちょっと分からないのですけど、それで、いろんな人が交流できて、いろんな人が関わりがあって、モンゴル人とかスイス人とか日本人と かと言うのでなくて、一つの世界の中に住んでいるみんなという意味で、自由に特講ができて、平和に、原発を心配しないで、平和の社会でやっていけるのが一 番大事だなと思っている。

今度来る研修生は国の機関との関係もあって、やっちゃいけないこともあるかもしれないけど、豊里で受け入れてくれ て、実際の実顕地の実態とかみんなで学んで、帰ってモンゴルで一緒にやっていける人がどんどん増えて行けるのは大事なことだし、受け入れてくれる皆さんに もお手柔らかにご指導、よろしくお願いします。

これからのこと一緒にやる仲間なんで、3年間旦那を置いてとか、大丈夫だろうかと言うのは余計な心配なので(笑い)思い切りやらせて、思い切り楽しくやっていけたらいいなーと思います。(拍手)

進行:今日は我々もやればなんとかできるというのを教えてもらいまして、有難うございました。