肉牛1万1頭始まる

優れた和牛の肉質と味を備えながらも手ごろな価格でたくさんの人に食べてもらえる普遍性のある牛肉を目指し、本格的に和牛生産に取り組もうと、1992年に名牛の産地但馬でヤマギシの元になる基幹牛を仕入れた。

受精卵移植技術により、同年11月に生まれた牛(耳標Y1)から始めた和牛生産が、2011年6月に耳標Y00000を超え、新たに耳標P1が始まりました。この機会に試行錯誤しながら進んできた肉牛のこれまでを、メンバーで振り返ってみました。

※受精卵移植とは?

牛は1年に1産ですから、優秀な子孫を残そうとする時、その牛に産ませていたら1年に1頭しか得られません。

受精した卵を他の牛に移植する方法をとれば、ほかの牛の腹を借りることで、優秀な子牛を何頭も産ますことができるのです。

この受精卵移植の技術を使えば、優秀な子孫を効率よくたくさん残すことができます。

上質で味の良い牛肉が豊富に作ることができます。

 

ヤマギシの基幹牛となったおおみぞ(平成4年生まれ・雌)は受精卵移植で100頭もの子孫を残し、20年経った今もかくしゃくとしています。

本格的に和牛生産を始めるにあたり、平本さんと鈴木義樹さんが元になるいい雌牛を探して、名牛但馬牛のふるさと兵庫県美方郡を訪れたのが1992年。

 

おおみぞ物語

最初は何もわからず素人で、それらしい牛を買った。何度となく足を運び「お前また来たんか」とあきれ顔で笑われながらも「もってけ」の返事をもらえるようになった。

だんだん勉強して、いろいろ調査を始めて、様子も分かってきて、よい牛を探そうとだいぶ奥ノ院まで入って、偶然もあって良い牛おおみぞに巡り合った。

その頃兵庫県で有名だったすごい人気のある種牛の姪っ子だっていうのが分かって、こんな血統の牛が出るんだって思って、

「この牛はどうだ」って地元の人に聞いたら

「これはやめとけ」って即座に返ってきた。そのやめとけって言う顔がちょっと違うわけ。

もう、直ぐ「次に行こう」とする。その時の感じは今でも覚えている。 これは何が何でも買わなきゃいかん。で、競り落としたのは義樹さんなんだけど、なんとしてもこれ買おうと、手が震えた。

今のように電気競るのでなく、手挙げてわいわい。何言っているのか分からない。なんかこうしたり、こうしてみたり、いろいろやっている。要は最後まで手挙げていたらいいのだった。

60万か70万から始まった。1000円単位で上がって行く。どこかで急に100万って声が掛って。もうやめよう。もうやめようって、こないだのなでしこジャパンの宮間あんな感じ。

よそ者に買わせるわけにいかないって。お前らなんだって。どっかで大きな声で地元の人が200万って言った時、その次の200万1000円でヤマギシに決まった。

プロになるともう、これは手を下ろさないと分るのだろうね。200万で買わそう、ここまでは出すだろうっていう、それにはまったわけ。

でも種付けたら着かないわけ。2回つけて着かない。 つらかった。どうしよって。3回目に着いた。あの時はうれしかった。

その時思っていたより、2年後、3年後に評価が上がったからよかったようなものの、空振りだったらもう、袋だたきだな。

運動させるといいと言われてロープで引いて高速の下くぐって散歩もしていた。

平本和之・鈴木義樹(談)豊里実顕地

おじろ7物語

紫耳標でうち元になってるやつだけど、おじろ7っていうのはね、すごい有名な牛で、雄が産まれたらだいたい一頭何百万で、雌でもだいたい100万以上で売れるような母親だった。

その家の稼ぎ頭。その一頭で食っていけるんじゃないかっていう牛だったんだけど、流産癖がついて、二回流産したんだよな。

その時譲ってやろうかって話になったんだけど、何回か行ったんだけど、やっぱりいざとなると惜しいわけだよな。

「もう一回付けてみるから」

って言って、付いたんだよね。それで三回目の時にもやっぱり流産したんだ。で、朝電話がかかってきた。

「流産して見たくないから持ってけ」と。

「もういいから持ってけ」

と言って、がちゃんと電話切るわけよ。

朝8時ごろ電話かかってきて、トラック頼んで3時頃着いた。「おまえもう来たのか」「だって持ってけっていうから」。

びっくりしていた。やっぱりちょっと心が動いていたけど、持ってけって言ってトラック着けられたら、やっぱりダメだって言うわけにはいかないだろ。それで、譲ってくれたんだよな。

その時、奥さんと三人で写真撮って。可笑しかった。もう来たのかって。

そんな牛だったらもう、普通だったらさ、淘汰して屠場(とじょう)出すから2万とか3万とか。たしか70万で買った。破格。

またそれがすごい採れて。卵が。採れた採れた。すごい採れたな。流産してるけど卵は採れるから、実際、人工授精したら受胎するんだから、そこまでは良いわけよ。

だから、卵採ったら平均より良く採れたよ。直系の子供で、雌でどのくらい採ったかな。

平本和之(談)豊里実顕地

肉牛一万頭に寄せて

牛飼い50年 鈴木義樹

乳牛2頭から始まった豊里の牛飼いは、驚きの連続。 最初はオカラ。「オカラを食べさせてみては?」「食べないでしょう!絶対」 「まあまあ、そう言わんとためしてみては」やってみた。「あ!!バクバク食べてる!」 牛は草を食べて育つと思っていたら、オカラを食べた。 まずやってみる、牛に聴く、牛を観る。なんでもやってみた。

肉牛になってからは敷料の木の皮、もみがら、じゃがいも、かぼちゃ、酒かす、ウ-ロン茶。 仔牛には精乳から脱脂乳、練乳。養鶏から破卵液卵。まるでミルクセ-キ。

「牛飼い五十年」。自分が一生かけてやることかと思っていたが、 この地「豊里」で五十年牛を飼うことの大きさ?すごさ?う―ん なんて表現していいかわからない何かが頭を通り過ぎていく。

地元の牛飼いの人に「いつから牛を飼ってるんですか?」「ここにいつから住むようになったのですか?」 「戦後親父が始めたから七十年くらいか」「親子三代みんな牛飼いです」 「いつから住んでるのか知らんなあ。じいさんのその前くらいか?」 その人たちの仕事振り暮らしぶりから受ける印象が、自分達と一味違うなにかがある。 ヤッケやつなぎを着て黄色のタオルを首に巻いて、汗水垂らして動いてる。

今はまだ開拓(開墾)の時期なのか、自分達がその役割なのか。 世代が代わりつつある中で、意識も変わってき始めてる。 その子たちの子供が親になり、生まれた子供達が高野尾小に通うころに 「牛飼い五十年」の真意がわかるかもしれない。 だから今日も牛を飼う。

 

ひとつだからできる 平本和之(談)

もう一万頭いったのか。ついこの間、一千になって、1に戻ろうかと言っていたなー。

安くていい肉を作るために、教科書に書いているような高いエサを買って成功するのは難しくない。

独自にいろいろな物を活かして循環の中で畜産をやって行こうと言うのが大前提だから、単に高くて良い物作るのでなく、循環、社会的、自然界の役割を果たしながらそれでいい肉を作るのが大変だった。

このエサでいい。これでいいとなると固定したくなる。固定しないで、新しい材料が来てその都度どう組み立てていくか。この前の充てん豆腐とか。 頭数もだけど、いろいろな過程を経てやってきたけど、ひとつだからできる。

総合的にいいことでも部門にいったら、エサの事でも生産方式でも牛舎の使い方でも、担当の立場から言ったら大賛成とはならない。色々な立場のいろいろな人が一つでやってこなかったら実際できないこと。

みんなで一緒に考え、乗り越えてきての一万頭。

畜産は産業としてやって行くというより、ヤマギシズムの考え方を表したら、実践していくのにやりやすいのじゃないかな。考え方に当てはめてやっていくのは面白いし、分かりやすい。

 

 

肉牛一万頭に寄せて 高橋洋子

肉牛で子牛の飼育に関わって、10年が過ぎました。

五千頭目がまもなく産まれた時に、こんなに産まれたんだなあと思ったことを覚えています。

6000、7000、8000、9000と産まれてきて、いつか1万頭目になる日がくるかもしれないなあと思っていたのが、現実にそうなったことは、何か不思議な感じ。

毎日、毎日、ミルクを飲ませ、えさをやり、草をやる。産まれてくる仔は、無事かな?そういう繰り返しです。10年前も、今も、これからも変わらないでしょう。

文章にしたら、なんかつまらなそうですが、牛舎に行く私の楽しみをど う伝えたらいいでしょう。

ヤマギシの子牛を、買ってよかったなあ、また肥育したいと思えるような子牛に育てていきたいと思っています。

 

 

牛からのエネルギーで、毎日楽しませてもらっています
小池典子

私は岡本の牛舎W1で、主にヤマギシの元種になる但馬牛のお世話をしています。

W1では、赤ちゃんから大人まで、いろいろな年代、性格も様々な牛が暮らしています。

生まれた時からの長いお付き合いになります。

お世話させてもらっている中では、一言では語り尽くせない色々な出来事がありますが、おだやかな顔を見ていると、ホッと心が和みます。

牛から教わることもたくさんあって、牛からのエネルギーで、毎日楽しませてもらっています。

日常的には牛との作業がほとんどなので、毎日の朝の打ち合わせが楽しみです。

こころひとつでやろうとしている仲間からパワーをもらって、知恵を寄せて、牛たちが快適に暮らせるように願っています。

 

子牛の散歩 横田綾子

18年位前、「子牛の散歩をしませんか」と、声をかけてもらいました。

当時私は選卵センターにいましたが、夕方になると散歩に行っていました。

いろいろな職場から4〜5人集まってきて、牛にロープをつけて、今の野球場辺りまで、草を食べながら散歩させました。

受け入れが平本さんで、松井のおじいちゃんや小池典子さんもいました。

子牛といっても大きくて、力では勝てません。

人に慣れた大人しい子たちでしたが、時々強い力で引っ張られたり、逃げて他所の畑に入ったり、一人で牛舎まで帰った子もいました。

(その時はあまりよく分かっていませんでしたが、みんなとてもよい血統のお嬢様で、今の肉牛の元になった牛だったそうです。)

 

肉牛の仕事風景

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肉牛部


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